平成最後の夏、記録的な酷暑、6月の4週目から30度を越えて9月に成って、台風21号の通過後もまだ暑い。




6月2週目に笛吹川西沢に行って、季節はずれの暑さにバテバテに成った。そして4週目から酷暑が始まった。



7月に入ると30度以下の日は数えるほどしかない。梅雨入りから梅雨明けもはっきりしない。毎日がとにかく暑い。野菜が高騰する。



7月同様暑い!そろそろ体力の限界が来そうだ。熱中症が毎日のニュースを飾る。7月より30度を下る日は何日か増えた、9月には暑さも収まるかと期待するが、、、、、、


暑さ、寒さも彼岸まで、昔の人は言いました。2週目を過ぎるとさすがに35度は無くなるが、天気が安定しない、
山行の予定が立たない、雨も3日にあげず降るという変てこな空模様。 9月の山は晴れたり曇ったり、
降ったりが当たり前ながら良い写真のチャンス。3日の間に 1日は晴れたえら最高、しかし予定が立たない空模様、いったいどうなってるんだい、、、、、、、

降らない日は7日しかなかった9月、毎年9月が狙い目に山行を予定していた、今年はもう無理だ、
雲取、 雁坂峠の縦走、テント泊を10月にでも計画しょうか。。しかし台風25号が10月2週目を襲ってきそうだ。






この3日は前線が消えて晴れた、山も雨が降らなかった。この日を狙って山に行けるものでも無く、まあ無理な話だ。




上高地の降雨量がゼロの日は9月中は6日しかない。なんてことか。槍ヶ岳山荘のライブカメラを 毎日開いてはため息をついて、晴れる日を心待ちにしていた。

9月の17,18,19日は降水量がほぼゼロ、天気図の前線が日本から離れている日だ。






平成最後の夏の酷暑と大雨を気象庁が分析している。














9月に成っても暑い、台風21号通過後も湿気で蒸し暑く疲れる、2週目の11日に
北海道で朝ー0.9度と真冬日に、平成最後の夏は記録破りの夏に成って仕舞った。



十月の始めに台風25号が日本海に抜けて、すっかり秋に成った。
10月に成っても天気が長続きしないので縦走は予定が立たず、今年の山行は断念、
これからの時期は雨が降ったらみぞれに成り、雨が氷水と成って降って
くる危険な時期。天気予報で見つけた10月の台風発生が最小に成る予報に、
天気は曇りばかりで実感が湧かないが、マッデンジュリアン振動がインド洋に移動
して日本を襲う台風がなくなるそうな。

台風の発生する熱帯域では対流活動が活発なエリアが周期的に西から東に移動して
30日から60日で一回りする。10月はインド洋に移動したため台風は日本に来ない。


2018年3月22日朝から相模原でも雪、予報どおりに成って来た。TVは箱根に中継を出して大はしゃぎだ。
ラニーニヤは既成の事実に、夏から始まっていた、



朝方6時頃から雪に変わってきた、積もる程ではないが、白く成って来た、
8日に蛭が岳で吹雪きとご対面したばかりなのに、里に雪が、

太平洋のチリ沖の海水温がー0.5℃下がった、反面フイリッピン沖辺りは
+0.5℃上がり偏西風の蛇行が起きた事で日本は寒気が入りこの季節に雪に。








<<ラニーニャ現象>>


今年はラニーニァが現実となり大雪が降って大変な事に、わずか0.5℃の海水温の低さが原因






日本の厳冬と、遠く離れた東南アジアの天気とは深い関係にあるようで、1月の東日本と
西日本の低温は、ラニーニャ現象が影響していると見られている。

(2018年2月7日のバリ島クタビーチ、冬に積乱雲、海水温が高いせい)
ラニーニャ現象の時は太平洋赤道域の中部から東部で海面水温が平常時より低くなる。
一方、東南アジア付近などの西部では海面水温が高くなり、積乱雲が盛んに発生
このことが大陸の高気圧の勢力を強めることにつながり、日本付近の寒気の流れ込み
を強める事に成る。
2018年2月2日早朝から雪が降ってきた。先週の雪は日陰にわ残っているのに。


早朝5時頃から白いものが、たいして降り積もらず13時には雪は上がりヤレヤレ

雪が上空で雨に変わるとレ-ダーに反応して環状雲に成ってレ-ダーに映った、珍しい映像

22日の雪が消えていないのに大寒波が、6時に家を出て自転車を漕ぐが皮手袋の指先が痛さむい。
筋雲を見るだけで寒さを感じる。今年の冬将軍が元気一杯、ほどほどにしてくれ。
{{2018年1月22日関東に雪が、都心は8時頃から降り始め、町田、八王子は11時から本降りに








((2017年12月10日頃からやたら寒く成って来た。チリ沖の海水温が7月から上昇し続けて
12月に0.5℃上がりラニーニヤ現象が確定か?))
寒気の大蛇行が始まり出している。日本には寒気の筋雲、フイリッピンには12月に台風が直撃、
今年の夏は7月から異様に暑くなり8月にぐずぐず天気で梅雨明けがいつだったんだか?
黒潮の蛇行で秋刀魚が捕れないとニュースになっていたが、さんま食べたかな?
海流の変調で天気もすっきりしない、9月の山行で小屋に足止め食らったのも初めてのこと、
冬にまで尾を引くとわ想像も出来ず、大雪に成らないでくれと願うばかり

日本の筋状の寒気とフイリッピンの台風が写った雲の衛星写真。

フイリッピンの台風26号、この時期になんて事か、大蛇行が実際に起きている。

赤い色付けだと寒く感じなくて熱波かと勘違いしそうだ。

寒さも青く色付けるとかく別に寒く感じる。この後も続くと野菜が高騰しそうだ。

朝6:30ころ高台の藤の台団地から朝焼けで手は凍る様に痛い、何とー7.7℃。

北海道の上空には強烈な冬将軍が連日がんばっている、

フイリッピンには台風27号が、12月に台風とわ、赤道とわいえ地軸の傾きで少しは温度も下がろうかと言う時期なのに、寒気の蛇行の影響か。


<<54年ぶりの初雪>>
2016.11月24日の6時ころから雪が降ってきた、予報で夜中に降りだす予報が少し遅れて
降りだす、お休みだったので散髪に終わって店をでると本格的な降雪、しかし15時には降り止む
雪国でないせいか雪が降るだけでマスコミは大騒ぎ、1日か2日すれば何のことだった?てな事


太平洋からの低気圧をシベリアからの寒気が上空で0℃以下に冷やして関東に雪を降らすと、大騒ぎ
になる。





<<38豪雪>>
関東の雪が54年ぶりに11月に降ったとマスコミは大はしゃぎ、54年ぶりと言われて38豪雪は何年
前かと数えたら53年前だ!中学2年だったか、大晦日かクリスマスあたりに振り出して一晩で
1mも降る、すさまじい降り方で3日続いた。毎日屋根の雪下ろしをした。親父は国鉄に勤めて
いたので駆り出されて不在、兄姉は勤めたり高校に行っていたりしていたが電車が雪で不通に
成り返って来れない。家の中の戸が屋根の雪の重さで押されて動きが悪くなると雪下ろしの合図
母親と私だけなので、1人で1日がかりで暗くなる頃やっと終わる。それを3日つづけた
雪下ろしをしながら線路を歩いてくる人の列が見えた。正月をふるさとで過ごそうと帰省
したひとたち、大変な思いをしたがこの先もどこも電車は動いていない。



直江津の近くの塚山と言う町で5m近い積雪、本当に雪に生き埋めに成りそうだ、田舎でも4mは降った


<<ラニーニャ現象>>
この年の北極からの寒気の噴出しに大きなむらだ有りアメリカ、ヨーロッパ、
東アジアに寒気が噴出し、ヨーロッパは氷河期並みで冬の平均気温よりー10℃、東アジアで-5℃
でアラスカは逆に暖冬で冬の平均気温より+14℃を記録.世界の異常気象が原因


38豪雪とWEBで調べると、結構大量な情報、自分の田舎に近い写真を集める、この時代、カメラ
持ちはそうはいなかったので写された地域は限定,広範囲な雪害の為かかなり多い写真だ。
正月を田舎で過ごそうと帰省して大雪で電車が動かなくなり、隣の北堀の内から雪の中を
線路伝いに歩いて来る人の列が暗くなるまで続いた。


屋根の雪は道路にしか捨てられずドンドン積み重なり5m近くになると電線が通行の障害に

人力で引くそり、、あったねぇ、引いて仕事した事は無かったが、なつかしい、、


国鉄の除雪器械、ラッセル、ロータリー、ジョルダん、マックレーなど蒸気機関の除雪車、いかんせん
パワー不足で排雪能力に限界が有り38豪雪では歯はたたず、鉄道が不通に成ってしまう,



豪雪の後、デイゼルエンジンの強力な除雪車が作られる。新潟鉄工の全盛期、その資産は30年もたず
倒産して跡形も無く消える。長岡工場の裏に有る大原鉄工は日本で唯一の雪上車メーカー
で生き残る、自衛隊、南極、スキー場で使う雪上車を作っているがかなり限定、

自衛隊の災害派遣で道路や鉄道の除雪に取り掛かるとあれよあれよと雪が無くなり、子供ながら
すごいなぁ!!!、中学校の教室に寝泊りして除雪作業をして、ストーブ1つしかない部屋
で寝袋だけで寝泊り、生半可の体力では仕事になりません。御昼は1L位の缶の炊き込み
ご飯、夜はたまに近くの民家でお風呂をもらう、と言う生活をしてがんばってもらううちに
異常な降雪は収まり、鉄道も開通、世間はふつうの冬になりました

この時代に大雪で孤立していたのに何をおかずに飯をくっていたのか思い出せないが、たくあん、白菜
の漬物、茄子のからし漬け、山菜の塩漬け、大豆などの穀物。魚の乾物、棒だら、昆布、
佃煮のりかな、生野菜は、雪の降る前に白菜、大根、キャベツなどを雪の下にわらを掛けて凍ら
ない様に貯蔵、地主の娘だった母親が野菜の作り方を知るよしも無いが見よう真似で空き地に
作った野菜で冬をしのいでいた。畑仕事を手伝わされるのが嫌だった、子供ながらに覚えている。
窓には障子紙を貼った戸が1枚。暖房は炭火のコタツが1つ。吹雪の夜は雪が吹き込んで来ない
様に新聞紙を戸の隙間に挟み込んで吹き込むのを防いでいた.炭とまきがエネルギー。
国鉄の物資部で買う、駅の貨物を扱うホームにリヤカーで引き取りに何回も往復して、
冬に備えた.電気は各家庭に引かれていたが、電気こたつは無かったのかな?豆たんあんか
も使ってた。練炭は有ったが家では使ってなかった。よくあの寒さを耐えて生きた物です
今の時代ならスーパー、コンビニが家の冷蔵庫だから2日も持たず食い物が無くなるし、飲料水
の確保をどうする?どう考えても大騒ぎに成りそうだ、地震のあと2日は自力で生きない
と助けが来ないそうだから本当に困ったものだ。勝手なことを言って大騒ぎになりそうだ。



<<平成16年11月日に中越地震(川口町武道窪が震央、震度7)起きる>>

大雪から40年もしたら何と震度7の地震が故郷を揺るがした。すでに実家は引っ越して無い

武道窪の震央の碑   ユーラシアプレートと北米プレートの重なり合う地震の多発地帯だったんだ

..................................................川口の大地主、参勤交代で牧野の殿様が泊まった処。


雪が降り積もるので柱はかなり太い4寸柱というのか12cm角以上の柱は使われていたのに





同じ町内で倒壊した所から500mも離れていないのに被害が軽微、何のかげんか?

小千谷の山古志に曲がる所、戊辰戦争で長岡藩が福島に逃げる為に最後の抵抗した難所、車が下
敷きになったが子供が車の中で生き延びた





<<川口町のホームページから魚沼三山と信濃川、魚野川、風景がすばらしい、ギャラリーから拝借>>







すばらしい腕前、自然を味方にする為、何度も通ってチャンスを待ったに違いないと思う。
竹田のさらに上、木沢の辺りですね。