ja0ehg's HomePage シダンゴ山(756m)麓のろうばい園 源実朝の首塚
2025年2月25日74歳と11ケ月 鍋割山の麓、沢筋 尾根筋から登る入り口の部落
山の名前が面白くてやって来た。関八州見晴らし台に続いて2山目
シダンゴ山の由来が書かれた石版。塔の岳が尊仏山だった様だ、小屋にその名が残って尊仏小屋 やどりぎのろうばい園
古淵を6時半に出てここまで9時半と想像だにしない朝のラッシュ、裏道が仇に成り抜ける道が無い
こ以上は進めない、茶畑の先は耕作放棄地、山道に、右の下に林道が有るが、新規開拓中らしく侵入禁止
鹿よけゲート,当然熊も居そうだ。
林の中を歩いて1時間15分、林道も新設中シダンゴ山の脇まで造成してる。
頂上は広々と整備されていた。シダンゴウのいわれとお社。
残雪の富士の横顔
江の島と相模湾、小田原の街並み
頂上のベンチでお昼、12時前ながらお湯を沸かしてカレーヌードル、ピザパンを食す
久々にSOTOのガソリンバーナーを持ってきた、やはり絶大な火力、プロパンは時間がかかり沸騰しない
左が鍋割山で右の花立、塔が岳に続く尾根
頂上の植林された馬酔木(あせび)園。すでに花の時期は過ぎていた、
あせびが咲いていたならこんな感じかな?
林道の工事は直下まで来ていた
1時間も下山するとやどりぎの部落が見えて来た
ろうばい園 の黄色が目に入って来る、まだ花は枯れてないじゃあないか、帰りに寄って行こう
まだつぼみも有るが花びらが茶色に成っているのも有りで盛りは過ぎてた、まばらな人並みで結構でした
梅より花が小ぶり、枝に一杯咲いていない、まばら一枝に数個、写真にするのに苦労する画材
源実朝の首塚
246に出る手前に道案内が出ている、調べると面白い今から約1000年前の政権争いの歴史
平家を滅ぼした源頼朝 北条政子 天皇の血筋の政子と夫婦に成り鎌倉の地で征夷大将軍に成るが
頼朝が死ぬと若くして子供の実朝が征夷代将軍と成るが北条政子の操り人形、
逆恨みに近い怨念で天皇家の血筋、政子の甥御の公暁に鶴岡八幡宮で暗殺され首をちょん切られ公暁は首を持って逃走
政子は三浦氏に公暁打ち取りの命を下す。三浦氏の梶原景時が公暁を打ち取り首も見つけるが、
景時は三浦氏の宿敵の波多野氏を頼り実朝の首を託す。なぜ?そこで波多野氏は金剛寺という寺を建て供養する
三浦氏と家臣の梶尾景時
秦野市教育委員会のH.Pより抜粋