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木曽御嶽山に2021年10月3日71歳で3000mの日帰り登山に
北アルプス(飛騨山脈)の延長線上とされるが稜線は繋がってない稜線を横切る河川は無いので国土地理院は御嶽山とその周辺としている
中の湯の駐車場が1800mの標高であと1200mも上がったら頂上。らくちん。
一の池二の池三の池は火口の名残でしょう。今回の噴火は地獄谷今でも煙が3筋で立ち上っていた
白馬に出かけた9月1日の停滞した寒冷前線には泣かされたが。10月3日は良く晴れて暑い顔、首日焼けで痛かった。
会社のレンタカーでで273Km走ってきました。古淵22:44分、スタート19号線の木曽福島から山に向かう、木曽福島は
国道と電車の間のわずかな平地に人家が有りコンビニも無い本当の田舎{木曽路は山の中である}と島崎藤村がいったがその通りだ。
山の中の狭い谷合に石碑がかなりの数立っていた。霊峰御嶽に向かっている。それにしても多い石碑、お墓では無いことは何となく分かる。
中の湯の駐車場は満杯状態で紅葉の御嶽を楽しもうと押し寄せて考える事は皆同じだ。それにしても星空が綺麗だ、4時前に着いて1時間は寝よう
ご来光、林の中でご来光はありがたくも無いが頂上で見るには小屋どまりが必要だ。
八合目2800m位、日当たりのよい所のナナカマド、真っ赤で紅葉だ。日陰の漆、ナナカマドは黄色がやっとこ
遠くに富士山、手前が南アルプスの山々、頂上ならもっと見れると思いきや残念、気温の上昇でカスミの彼方に
富士山や南アルプスの北岳、赤石は遠すぎて良く映らないが見えていた。
三の池から降りてこれるの看板が有り帰りはこのルートと考えていたが、とんだハプニング
八合目を過ぎると森林限界、火山岩の荒れた山肌、これこそが霊峰の条件
9合目の石室山荘は8日まで営業している、帰りにスポーツドリンク400円とうんこ200円でスルー
小さな祠、見過ごしそうだ、
現代風手軽なペンキ仕立て、石碑代わり、
修験者の像、御嶽信仰を信じて辛い登山で精進してこれからの人生の糧にしたのでしょう。
江戸時代には大変な賑わいを見せた御嶽講、富士山と似た様な山でそこここに神社が祭って有る。明治までは神の仏もごちゃ混ぜ
いよいよ頂上まで少しに成ったが、人の多さにびっくりだ。
いよいよ頂上,しかし喘ぎながら暑い日差しに邪魔されてなかなか苦しい,爆裂火口の一部が見える、カスミで富士は見えなくなった
剣が峰の大巳貴尊とえびす様
頂上の社務所、入るなを無視して地獄谷の噴煙を撮る、ついでに雉撃ち、朝食の牛乳のせい。
水蒸気爆発した地獄谷の爆裂火口、今でも煙は幾筋も立ち上っていた、爆発前はおはち巡りの道筋が有った様だ
富士山は8合目までは見えていたが、時間とともに見えなくなる、南アルプスの3000mは見慣れぬ山容で直ぐには分からなかった
手前の19号線そいの谷筋の先が20号線沿いの伊那の町でその先が塩見より更に奧が北岳、右に赤石だから少し遠すぎて無理かな、
朝のうちに見えていたがひがたつうちにカスミで富士は見えなくなった。本当に良い天気で気分が良い
近くが乗鞍、その先が焼岳で西穂、奥穂、ずーと奧は槍、やりはどこから見ても分かりやすい、
一の池二の池は地獄谷からの噴煙の火山灰で埋まってしまい地獄池と化していた。手前が乗鞍、奥が穂高、よく見ると槍
大変な人出、狭い登山道は交互通行で譲り合いながら先を急ぐ、何とか3000mの日帰りが出来た。
木曽の御嶽山は信仰の山
富士山、白山、立山が日本三大霊山とされる。、富士山(富士講)と並ぶ講社として庶民の信仰を集めた霊山
教派神道(明治に起こった新宗教)祭神は原初神の天之御中主神(あめのなかぬしのかみ)<日本神話の天地
天地開闢に登場する、古事記で最初に登場する神。>教派神道の一つが御嶽信仰の対象だった。頂上には大己貴尊
と恵比寿様を祀っている(大国主。。。おおくにぬしのかみ)とも言う。鎌倉時代には御嶽山一帯は修験者の行場だったが
その後衰退してしまった。最盛期には山頂の御嶽社の奥社登拝にはふもとで100日近い精進潔斉の厳しい修行が必要とされ
年1回の登拝が許された。江戸時代には円空も登拝をした。周辺寺院に多くの木彫仏像がのこされた。江戸末期から明治初期
には毎年何万人もの御嶽講で登拝されにぎわったそうな、王滝口と黒沢口の参道には多数の霊場と修行場の後が残っている
御嶽信仰では自然石に霊神の名称を刻印した霊神碑を建てた、5000基は建てたと言われている
2007年に地獄谷で水蒸気爆発、噴火死者70人近く、未曾有の災害に
御嶽山噴火をNHKが偶然に現場にいて下山者にインタビューした動画