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雲取山から奥多摩に続く稜線 長沢背稜を跨いでその先に秩父の高尾山が有る
2022。10。21に関八州見晴台に登ってみた。8月の中旬に突然右膝、太腿が痛くて歩けない3日後に
タクシーで整形外科に、レントゲンで背骨の軟骨がすり減って、坐骨神経が余って座骨に当たり痛い痛いと
悲鳴を上げた。その2年前の健康診断で2cm身長がちじんだ、さほど気にしていなかったが、軟骨がすり減った
結果だったとは!坐骨神経の束は伸びはすれど縮じむことは苦手の様でだぶついて座骨に当たり痛い痛いと悲鳴を
上げていた。それを医者は老人病だと一言でかたずけて痛み止めを出す、2週間痛み止めを飲んで事無きを得るが
1か月後に又痛み出すのでまた整形外科に今度は別の医者ながら同じ薬を1ケ月分処方する。この病院は骨接ぎより
ダメだ。NETで1件だけ見つけた記事、軟骨のすり減りによる座骨神経痛は腹筋背筋を鍛えて軟骨替わりにせよ。
そてまでせっせと腹筋背筋のトレーニングをやっていたんですが、背筋のトレーニングが良かったのか?坐骨神経が
痛くない所に収まって4日薬を飲んでそれ以降、服用しない、それから1ケ月したので山に試しに行って来ました
14Kmを7時間で走破、なかなかの結果です。3日は筋肉痛で関節痛は無くて本当に薬漬にならずに良かった。。。。



関八州とは(江戸時代)
武蔵(むさし)埼玉、東京、神奈川東部
上野(こうずけ)群馬
下野(しもつけ)栃木
下総(しもうさ)千葉北部、茨城南部
上総(かずさ)千葉中央
常陸(ひたち)茨城
安房(あわ)千葉南部
相模(さがみ)神奈川
西吾妻駅から関八州見晴台を巡って下山すると1日がかりのコース、吾妻駅から電車で帰れる。

江戸時代は徳川家の領地、各領地は代官が納めて年貢を徴収していたから八州見回り役というのは
居たけれど時代劇の様な権限は無かったのが真相の様だ、八州全部が見えるか?

鎌倉時代の領主が江戸時代に徳川に忠誠を誓って生き延びたか、獲りつぶしに成ってしまったか?
関東は天領と私領が入交り警察権が行きわたらず、犯罪が多発、治安の悪化で
(1807年江戸時代の末期)幕府が治安の取り締まりに作った組織。


古淵駅4時56分の横浜線で八王子、八高線で東飯能で乗り換え、西武秩父線で西吾野に7時35分に下車。

朝のお勤めも済ませてさぁ出発

案内板に導かれて歩き出す

これからが登山道、高山不動90分と有るがそんなに早くに?


道祖神?石地蔵?まぁ何か分からず


三滝には行かず不動尊に向かう

舗装路のグリーンラインが巡っていて登山というにはちょっと

2時間がかりで高山不動尊に到着、

大イチョウの大木。この右奧に山の分校の小学校が有った

石畳の階段は蹴込が殆ど無く15cm位の巾しかない変わった階段ボーとしていたら踏み外す



伝承によれば654年に藤原鎌足の子、長覚坊と三輪神社の別当、宝勝坊、
藤原氏の巨の岩田三兄弟が創建したという。が正確な創建は不明。中に収められている平安中期の作と推定される
木造軍茶利明王立像(229cm)一面八桧臂の五大明王の一つの軍茶利明王の像が国指定有形文化財です



さぁ裏山の見晴台に歩を勧めましょう

舗装路がじぁまをするんです



あっと言う間に奥の院、見晴台に到着


雲取山の秩父側の長沢背尾根の山並み、尊甲山は三角が北に傾いて良く分かる




丹沢の方向、伊豆半島の方向ながらそれは少し無理かな

10時半に到着、遠くは霞んで不明、たぶん見える時も有るんでしょう

房総半島は見えるはずなんですが

表示されてないが、筑波山は見えるはず

栃木、男体山。群馬、赤城は見えるのでしょう。ぐるりが見えるはずが木ぎが立派に育って視界を遮る

まだお昼には早いので次の傘杉峠に向かいます。ここだけが開けて眺望が効く

ここで11時半、お昼にお湯を沸かす、プレヒート付きガスコンロOD缶をCB缶に変換アダプターで経費削減
プレヒート付きだからCB缶でも早く沸く、しかし安物カップ麺がまずい、疲れているときのまずい物はいただけない



幾度も舗装路を横切るのでその都度低山だと嫌に成る、


途中から舗装路を歩くが、舗装路は登山靴ではクッション性が無いせいかとにかく歩きずらく疲れる

戊辰戦争の影響がこんな所まで、奥会津にまで攻め込んで行ったんだから、ローラー作戦で北上した


舗装路から山道に入ると落人部落かマタギの里か何軒かの家が


林道を何回か横切る、まぁ登山と言えるのか?山歩き?




ついに舗装路しか無い、吾野の町に降りた

秩父街道、知らなかった。雁坂峠に行ったとき秩父往還が出てきたがが改めて調べた。
秩父往還 中山道熊谷宿の石原村を起点に荒川渓谷沿いに秩父大宮経由秩父盆地を横断して雁坂峠から甲州に入り甲府に至る
   入間から秩父に至る道も秩父往還となる入間から1日目か2日目の宿は吾野宿、それから秩父に至り雁坂峠を越えて甲府に
   雁坂峠から笛吹、塩山、甲府とそれは大変な道、昔の人はすごかった。それも荷物を背負ってのことだからそれは想像だに出来ない

14時半に吾野駅にたどり着く、途中は膝の具合を気にしたが完走、GPSは14Kmとまぁ1日の歩きに成った。7時間歩いたので早歩きかな