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高幡不動と紫陽花 2019/6/7







3年前までとなりの万願寺に営業所が有り毎日の様に高幡不動を通り過ぎていたが、足を運ぶ気にはならなかって
紫陽花の季節にもなり行ってみようかと、お寺の裏山に紫陽花それも地の紫陽花が咲いている、四国八十八か所めぐりを模した地蔵が有るとの事。

古淵から八王子、駅をでて京王八王子に乗るために400mは雨の中を歩く、
初めて京王八王子だ、この先に踏み切りが有りたまには引っかかっていたが今は地下化している
高幡不動の駅ビルのファミマで酒とカルボナーラのお昼を買ってお寺に向かう。ずっと雨。
タブレットのGPSがかなり感度が悪く飛び飛びで直線のほうが多く成って仕舞う困りもの、
そこで3000円のみちびき対応のデーターロガーで足取りを書いてみた.
良く受信していまするが、現在位置の表示が出来ないのが玉に傷、安いから仕方ない



<< 仁王門 >> 室町時代に建築、ものすごく古い、楼上扁額「高幡山」は300年後の江戸時代初期の運敞僧正の筆

<< 不動堂 >>1335年の山中に建てたが暴風雨で倒壊したものを1342年(康永元年)に移建

不動堂を横から、一番上の棟の作りが見慣れない構造、江戸時代では無い証、

以下の建物は江戸時代 安永の大火事で焼けて無く成ったものを昭和50年代に再建させたもの









八十八番の地蔵の隣の地蔵堂の中の地蔵は他と同じ地蔵が鎮座していた



芭蕉は庵を小石川か深川あたりに構えていた?そこから高幡まで歩いたら二日は掛かる計算だが大変だ、と勝手に思ったが、高幡不動とは無関係の俳句
(名月に麓の霧や田の曇り)。。空には八月十五夜の名月が輝いている、だが向こうの山の麓あたりには霧がかかり田の方にまで流れ着て田の面がうっすらと曇って見える
芭蕉の晩年に伊賀上野にひきあげて新庵を作った時の作、その翌年に没、、如何にしてこの句を選んだのか?
日本固有の花、開花から花の色が変わるという不思議な花、梅雨の時期と重なり、雨とあじさいが良く合う



























お地蔵様が裏山に、寄進で建てられたのか台座に名前があり、本人か家族は感慨が有るかもしれないが、他人は、、、地蔵巡りをしても困った、ちょっと無理が有る。
山の中腹から上は紫陽花も無く眺望も効かない、紅葉の時期なら、地蔵の顔が少しづつ違うのに気づく、最後の88番のお堂の中の地蔵が路地のお地蔵さんと同じ顔に気付く



日野市宮という住所が有り、見つけた時は何か嬉しかった。万願寺の先で曲がり橋を渡り
左に行く旧道、20号を渡り先のネッツトヨタの前の電柱の住居表示が宮に成っていた。なんだこれわ!!と驚いた。