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武蔵野陵(むさしののみささぎ)、八王子城址

みささぎ似ているのが雲取りの長沢背陵に水洗山と書いてあららぎ山と読む地名その下に天祖山が有り、神事に使われる言葉か
昭和2年に南多摩郡横山村に多摩陵が作られる。この地に天皇家の領地が有ったのと、万葉集に多麻の横山と詠われ、
多摩堺に横山の道が有る。<平安の時代から京都奈良に続く街道>これらの要因でこの地がお墓に選ばれたか


明治天皇は維新の後、江戸城に入り45年後に亡くなるのでお墓は京都。

とても広い。歩くところは1Km以上、玉ジァリの道は歩きにくい、腰を下ろすところなど無い











お墓は四角い土台の上に半円の石積みの土饅頭のそれも直径が3mはあろうかと




古淵の東淵野辺4町丁目から自転車で町田街道を高尾駅裏まで 20Kmを2時間半掛けて走る。帰り同じ道


天皇の墓の先に有る八王子城址に足を延ばした。

八王子城が有ったのは秀吉の時代。鎌倉時代の北条氏の勢力が室町時代から織田信長の時代に成っても引き継がれたのかと思いきや違う
父は伊勢宗端の3男だから伊勢の姓が正しいが勝手に400年前の北条を名乗ると都合のいい事が有ったが、秀吉時代に小田原攻めに合い
一機に潰されてしまった。八王子城の前に滝山城が多摩川べりに有ったが甲斐の武田に攻め落とされそうになり新しく八王子城を築城したと有る。
すでに山城の時代が過ぎていたのにも関わらず大きな山城を作ったのが失敗の元で1日で攻め落とされる。外堀と切り立った城壁が必要な時代


1650年代(江戸時代初期に書かれたと判定された)地形図

国土地理院の標高に合わせて作られた鳥瞰図

分かり易い鳥瞰図

もっと分かり易い実態図
高尾駅からバスで墓地前で下車、歩くと標高400mのハイキングです。丘の上に眺望の効く所が有り新宿方面が見えるとか

さて城主の北条氏照は鎌倉時代の執権政治をやっていた北条氏の子孫?いやいや調べて分かった、全くつながらない。
便宜上勝手に名乗ったのが真相、父は伊勢宗端の3男、戦国時代に相模に来たが回りに張ったりをかますため勝手に北条
を名乗ったのが始まり、鎌倉時代から400年近く勢力を保ち続ける事は不可能、ましてや鎌倉幕府は倒されたのにこの
時代は孫子の代まで滅亡させて根絶やしが上等手段、変な話だと調べれば真相がわかった。今なら名を騙ったと問題になる

バス停から城址の本殿跡までを一枚にまとめた。残っていたのは石垣や土台。400年は自然に任せ土に埋めれた。発掘調査からの創造で作られた
山城が出来て何年も経たないで秀吉に潰された為、完成したのかも不明。御主殿跡から庭園や池跡、ガラスなどが出土、どんな形の建物だったのか?

登城門から神社、本丸更に富士見台まで

富士見台でお昼,コンビニの冷凍ラーメンに焼き豚をガスコンロで調理して食す。結構なお昼でした


富士見台でお昼を取り小仏関所跡に歩を進める

朝8時半にバスを降りて14Km歩いて14時半過ぎ、ハイキングの部類に入るがUPDWNが激しい。
林道を登り切って富士見台から神社のコースが良かった気がする。城址は石垣しか無いので、マニア
が頭の中で想像するにはもってこいだ。尾根筋でも全く眺望は効かない、低山の宿命で仕方ない

僅かなアップダウンながら数えきれない程出てくる。眺望は無く、暑い時期は無理だ。