長岡の花火、三尺球が有名30cm×3尺で90cmの球が約600m打ち上げられるそうな、およそ20kgほどの火薬の詰まった紙の玉を20kg程の火薬で打ち上げる。打ち上げの筒は2m。結構低音な打ち上げ音でまだかまだかと高く上がるのでのけ反って仕舞うほど見上げながら待ってやっと大音響とともにこれまたでかいデカイ花火が開きます。







使うカメラはバルブ機能がないと無理でしょう、マルチシャツターが有れば、2重写しも可能、レリーズは絶対必要、
更に三脚が無かったらどうにもならないでしょう。最後に写す場所がこれまた大変重要、フレームの中に下の河原から
花火の上まで入る距離を頭に入れて、暗くなる前に河原に陣取る、くらいの情熱がいるでしょう。絞りは1/125くらいで<B>、
ミラーアップが有った方が良い、レリーズは打ち上げ音で握り、上空で花火が開いたドンの音で放す、チョツト距離が有ると、
光より音の方が遅いので花びらがたれてしまう。暗いなかでの作業、足が三脚を蹴っ飛ばしたり、当たったり絶対無しで。。


四国のお母さんが越後七不思議のツアーで阿賀野川の
梅護寺で面会に、瓢湖の白鳥も見て帰る



宗教は奇跡が付き物、純真無垢な善人を取り込む最善のアイテム、

上越市の居多神社、片葉の葦

南神原群田上町の了玄寺、つなぎ茅葺

阿賀野川市保田、考順寺の三度栗

阿賀野川市 小島 梅護寺の八房の梅、数珠掛け桜(共に天然記念物)

新潟市西区山田 三王神社 焼鮒

新潟市鳥屋野 西方寺の逆さ竹


親鸞 浄土真宗の宗祖とされる

鎌倉時代の初め、京で修行に励んで勢力を拡大していたが、承元の法難で1207年後鳥羽上皇により
越後国府(上越市)に配流れた、5年で禁は解かれるが豪雪の地から抜け出せずにいた,

今では考えられないが、何で上越が流刑の地になるのか?糸魚川と富山の県境は海にまで山がせり出し、
道に出来る様な場所が無かった。日本海に面した断崖、400mの断崖絶壁、波間を見計らって狭い
砂浜を駆け抜け大波が来ると洞窟などに逃げ込み難を逃れたが波に飲まれた者も少なくなかった。越路の
最大の難所とされた。白馬岳から日本海に尾根が繋がり、明治に成ってようやく山の上に道ができた、

(親不知子不知)

平家が壇ノ浦の戦いで滅びたが、平の頼盛は難を逃れて越後国蒲原群に落人として暮らしていた、
のちに妻が聞きつけ2歳の子を連れて蒲原群を目指したがこの難所で子供を波にさらわれて亡くしてしまう
この時歌を詠んで「親不知、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く」と嘆き悲しんだ
子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ばれるようになったとさ。伝説で平頼盛は壇ノ浦の翌年に没という説が有力


瓢湖の白鳥



一個人が純粋にシベリアから飛んできた白鳥がエサを十分に食べてまたシベリアに帰ってもらいたいと始めた餌付け
白鳥が集まると周りからも色いろな穀物、パンの耳、茶殻の干したもの、使えなくなった穀物、食べさせてやってと集まり
鴨に白鳥、大混乱です。普通の沼や池では遠くから近ずいてもどんどん離れたなかなか近づけない。こんなに近くで見ることが
出来てすごい事です。餌付けが良いか悪いかはこっちに置いて、大変な数の白鳥,鴨、よく見ればいろんな鳥が居たんでしょう


人間の勝手で白鳥、ツルは捕まえてはいけません。鴈にとっては受難の始まり雁は白鳥程の大きさが有り食べ応えもあるため乱獲がたたり
今で鴈の渡りなどめったに見られません。山梨との県境に雁坂峠、鴈が腹すり山など鴈にまつわる名前が残っている鴈、最近はめったに見られません。
春先の鴈の渡り、三角形に成って飛ぶさまが結構見られたのに、人間が取りつくしてほとんど見る事が無くなった。